一流プレイヤーが奏でる JAZZの音色で村興し
自作のラジオから
聴こえたジャズの虜に
美濃焼やタイルで知られる岐阜県笠原町。この山間の小さな街に世界のジャズシーンを牽引する著名なミュージシャン達が毎年のようにやってくる。目的はもちろんコンサートだ。穐吉敏子、ルー・タバキン、エディ・ゴメス、日野皓正、山下洋輔、寺井尚子、ケイコ・リー、渡辺香津美など、ジャズファンなら誰でも名前を知っているような超メジャーどころばかりだが、それを招聘するのが同地で30年以上に渡って医院を開いている外科医、藤井修照さんである。
「大好きなジャズを地元笠原町の皆様にも楽しんでもらおうと、17年前にホールを建てました。『スタジオF』といいます」と、柔和な表情で藤井さんが案内してくれたのは、病院敷地内にあるコンクリート造りの巨大な“ハコ”。130人収容可能という広さもさることながら、ライティング機材やレコーディング機材などの設備面
に至るまで、まさにプロ仕様。ジャズシーンの第一線で活躍しているミュージシャンがオファーを快諾するのも頷ける。
多忙な医療業務の合間をぬって、コンサートのブッキングからCDのレコーディング手配、気が向けばドラムも叩くという藤井さん。今年で70歳という年齢は微塵も感じさせない。
「若い頃から、とにかくジャズが好きで、ここまで来てしまいました。いろんなコンサートに足を運んでミュージシャンたちと親交を深めていくうちに、是非うちのホールでも、と話がまとまり今日に至ってます。運が良かったんでしょうね。」
藤井さんがジャズと出会ったのは小学生の時、まだ戦後間もない頃だ。趣味で作ったラジオから聴こえてくる進駐軍向けの英語放送。これまで聴いたこともなかった「音楽」に衝撃を受けたという。以来すっかりジャズの虜になり、浪人時代を過ごした東京でさらに運命的な出会いを果
たす。
当時新進気鋭の若きピアニスト、穐吉敏子が渡米直前の1955年に開催した「さよならコンサート」に足を運んだ藤井さんはコンサート終了後、会場近くのおでん屋で彼女とバッタリ遭遇する。そこで勇気を出して声を掛けてみた。たった二言三言のやり取りだったが、生涯忘れられない出来事となり、ますますジャズにのめり込んでいくことになる。
医大に進学してからは聴くだけでは飽き足らず、ジャズグループを結成して自らはドラマーに納まる。「全国軽音楽コンテスト東海地区大会」で最優秀賞という輝かしい栄誉を勝ち取ったが、本格的に医療に打ち込むため惜しまれつつもグループを解散。ドラムは封印した。
そんな藤井さんに再びドラムを叩く日が訪れる。エネルギッシュな演奏で海外でも高い評価を得ていた山下洋輔トリオの初代ドラマーを務めた森山威男との出会いが、26年にも及ぶドラムの封印を解いてしまったのだ。
森山威男に弟子入りを志願してからは加速度的にジャズへの熱意が再燃する。果
ては「最高の音楽が常に近くで楽しめるように」と、ホール建築にまで行き着くことに。これまでスタジオFで開催されたコンサートは100回を超え、回を重ねるごとにミュージシャンとの繋がりは強固なものとなり、招聘がしやすくなっていった。なかでも穐吉敏子は出演回数9回を数える常連だ。
故郷を元気にする
医療と音楽
興行的なことを考えれば、コンサートは集客が見込める都市部の方が有利なのはいうまでもない。だが、地元、笠原町でやることに意義があると藤井さんはいう。それは自分をここまで育ててくれた故郷に対する恩返し、という気持ちの表れでもある。医師として地域住民の健康面
をケアするのはもちろんだが、同時に心も豊かにしたい。自分にできることといえば、やはり音楽だ。
「ホールは若い人のバンド練習用に解放することもあれば、演奏以外の会合などに使われることもあります。こうした催しを定期的に行うことが地域の活性化に繋がればいいですね」。
そんな藤井さんの目下の悩みは自身が忙しすぎるということ。本業である医療の妨げにならないようにスケジューリングすると、コンサートができるのは年に数回ほど。現状ではミュージシャン側から是非やりたいという要望があっても断ってしまうケースがあるという。
「この年になっても、なかなか忙しさから解放されませんね。コンサートに関してはどなたか手伝って下さる方がいれば助かるな、というのが正直なところです」という言葉とは裏腹に、その顔は終始笑顔。藤井さんは仕事と趣味を目一杯楽しむ粋な大人なのである。
|