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2006年1月/ぎふサロン・森山 「月刊なごや」「月刊ぎふ」掲載記事
ぎふサロン「ドラマー森山威男さん」

可児から世界へ---
エネルギッシュにジャズを発信

 東京芸術大学在学中から山下洋輔のバンドで演奏活動を開始、海外のジャズフェスティバルにも数多く出演し、活躍してきた世界的ドラマー。
 2002年には南里文雄賞、日本ジャズ賞、日本芸術賞受賞。1945年山梨県勝沼町生まれ。
「隣が演歌歌手の公演や映画を上演している劇場で、なぜかある日ジャズのバンドが来た。初めて生演奏を聴き、小学生でドラマーになることを決意した瞬間でしたね。」
 高校時代、ブラスバンドで初めてドラムを叩き、改めて決意を固めた。

【ジャズでゼロからの再スタート】
 64年東京芸術大学打楽器科入学。クラシックを学び、3年の時には著名な交響楽団への就職も決まっていたが、クラシック音楽にはどうしてもなじめず、退学届を出すほど苦悩の日々を送る。退学届は受理されなかったが、就職を断り、ジャズでゼロから再スタートをきることを決意。
 国立音大在学中から活躍していた山下洋輔がドラマーを探していると知り、訪ねてドラムを叩いた。
「最初の出会いは最悪(笑)…。“下手だね”と言われ、“あなたも下手だね”と売り言葉に買い言葉。でも2度目に会った時は“平凡なドラマーはいらない。思い切り叩いてくれ”と僕独自のスタイルを認めてくれた」
 67年に山下洋輔トリオに参加し、ドイツを中心にヨーロッパ中のジャズフェスに出演し活躍。日本国内での評価も高まっていった。
 70年に結婚。仕事は増える一方でテレビ出演も相次いだ。しかしそんな中、毎日が流されていくような違和感を覚え始める。75年の大晦日、トリオを退団。その後2年間、音楽も聴かず引き籠もって過ごし、答えを探そうと聖書を読み耽る日々を送る。
 77年、知人を通して板橋文夫、望月英明、井上淑彦らと出会い、森山威男カルテットを結成。
「新宿『紀国屋書店』からすごい行列ができているのを見て、何があるんだろうと思っていたら自分の復活ライブに並んでいるファン!心底びっくりしたね」
 初期の頃、ドラムを必死で叩いた快感が戻り、演奏を楽しむことができるようになっていた。それまでは人を寄せ付けず、音楽に這いつくばるように全てを捧げていたという。
「ステージでお客さんと話すようになったのもこの頃からかな」
 84年ヨーロッパツアーではドイツ・イタリアなど数多くのジャズフェスに出演。以来、若い演奏家とも組んで数々のアルバムを録音。
「義父が松坂屋の前で古い喫茶店を営んでおり、90年に名古屋へ。5年間喫茶店のマスターもしていた(笑)」

【ファンともっともっと交流したい
 95年には多治見市へ。97年から可児市在住で、地元のジャズライブハウスやスタジオなどでの演奏も数多くこなす。2000年、スタジオF主宰の藤井修照氏のFレーベルに録音。多治見を巡るNHKの「やきもの探訪」にも出演した。
 2002年より可児市「ALA」にて「Moriyama Jazz Night」を旗揚げ。以来、定期公演となり、エイブラハム・バートンや井上陽介などニューヨークで活躍の奏者や、ケイコ・リーなどの若手まで様々なアーティストを迎え、毎年熱いジャズナイトを繰り広げている。
「自分の音楽を聴きに来てくれるファンとは本当にもっと交流したい。ファンの方々からもアイディアを出して、ぜひ発信して!」
 今年のALAはDVDの製作も企画中だと語る眼差しは、独自のジャズを思いきり表現したいという情熱に溢れ、輝いている。


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